大判例

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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)458号 判決 1977年2月15日

控訴人

甲野一郎

右訴訟代理人

小泉征一郎

外四名

被控訴人

右代表者

福田一

右訴訟代理人

藤堂裕

外五名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金三〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四六年一月二三日から右支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上、法律上の陳述並びに証拠の提出、認否援用は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、ここにそれを引用する。

一、控訴人の主張

1  監獄法第三一条は、「法律による行政の原理」に反する。同法第三一条第二項は、「文書、図画ノ閲読ニ関スル制限ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」と規定している。右規定によれば受任者は、文書、図画の閲覧の制限をいかようにでも定めることができるのであつて、そこに法律による制限は一切加えられていないし、ましてや制限の基準も一切示されていないのである。しかし、ある委任規定が合憲的であるためには、委任の対象たる事項が特定されるだけでは足りずその基準が示されていなければならない。従つて、監獄法第三一条が憲法に違反することは明白である。

2  監獄法第三一条は、憲法第一九条、第二一条に違反し、「文言上無効」である。すなわち、言論の自由に対する制限立法は、それが不当な侵害を来たさないものであるだけでなく、そのことが文言上明らかでなければならないのである。換言すれば、言論の自由の権利を行使する国民が右制限立法の文言を見ただけで、その行使が許されるものであるかどうかの判断ができるような文言でなければならない。そして、言論の自由に対する制限立法については、その制限の範囲が文言上明らかでなければならないとすれば、逆に右制限立法の合憲性判断は、その文言に即してなされなければならない。原判決は、監獄法第三一条、同法施行規則第八六条、本件取扱規程第三条、本件依命通達第二項について、「当該図書の閲読が監獄内の紀律を害する結果となる相当の蓋然性が認められる場合のみ、当該図書の閲覧禁止が……許される」と判示し、右規則等をそのように制限的に解する限度で合憲的なものとした。しかし、言論に対する制限立法に関しては、右の如き制限的合憲解釈の許されないことは前述したとおりであつて、右規則等をその文面によつて判断する限り、それが憲法第一九条および第二一条に違反することは明白である。

二、被控訴人の主張

1  控訴人は、監獄法第三一条が制限の基準を示していないとして、これが包括的白紙委任であると理解しているようであるが、その主張は、委任立法の合憲性をみる場合、行政機能に属する細部の基準までをも法律の規定に求めようとするもので、基本的な誤解を伴つている。法律による行政の原理としては、監獄法第三一条についていえば、基本的人権である思想および良心の自由、表現の自由が制限される対象と制限の範囲が法律によつて特定されていれば足り、その具体的な執行機能の基準について受任命令をもつて定めることを否定するものではない。しかして、監獄法第三一条は、制限の対象者を「在監者」と定め、制限の範囲を「文書、図画の閲読」と規定している。従つて、そこには委任の事項が具体的に規定されており、これは憲法に反する一般的、包括的な白紙委任ではない。

2  本件不許可処分当時の東京拘置所における文書の閲読不許可部分の抹消処理担当人員及び当時の処理件数は、次のとおりである。すなわち、当時、東京拘置所における右処理事務は、同所教育課において担当していた。教育課は、課長以下五名をもつて構成されており、そのうち右の処理事務を現実に日常業務として行なえる人員は、同課の図書係を担当していた二名だけであつた。因みに、課長を除く他の二名のうち一名は、教化教育係長として一般差入物の処理等にあたり、他の一名は、一般教育事務の整理員であつて、本件の如き処理事務にあたる余裕はなかつた。また他の部署からの応援は、とりわけ当時公安関係の収容者の出廷拒否等が頻発していた状況下において、その処理にあたるだけで手一杯の実情にあり、期待できなかつた。ところで、右の図書係二名の者は、受刑者中から若干の図書夫を選んで手伝わせるが、処理件数が多くなると、人数の面でも、また抹消技術の面からも、臨機の処理が不可能となる状態にあつた。次に、昭和四五年八月における検閲数は件数にして二八、九六二件であり、延べ三九、〇五六点であり、このうち抹消等した点数は八、三二九点(一日平均約二六八点になる)にのぼつていた。

理由

当裁判所は、控訴人の本訴請求を失当として棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり付加するほか、原判決理由説示と同一であるから、ここにこれを引用する。

一控訴人の主張1について

委任命令は、本来、国会の制定にかかる法律をもつて規定すべき事項を法律の委任に基づいて行政権が定める命令であるが、現代における行政内容の拡大及び複雑化に伴う実際上の必要並びに社会事情の変化に即応するための立法技術上の要請から、条理上承認されるべきであり、憲法第七三条第六号但書も委任命令を発しうることを当然の前提としているものと解せられる。そして、かような委任命令には限界があり、国会が唯一の立法機関であるとする憲法第四一条の趣旨からいつて、実質的に国会の立法権を没却するような無制限な一般的・包括的委任は許されないと解すべきである。ところで、監獄法第三一条第二項は、在監者に対する文書図画の閲読を制限しうる旨を定めるとともに、その制限の具体的内容を命令に委任しており、これを受けて監獄法施行規則第八六条が定められているのであるが、当裁判所も、原審と同様、右委任は、対在監者という一定の関係において文書図画閲読の制限の具体的内容という一定の事項を委任したものであつて国会の立法権を実質的に没却するような無制限な一般的・包括的委任ではないと解するものである。従つて、監獄法第三一条第二項は憲法又は法律による行政の原理に違反しないものと解するのが相当である。これと異なつた見解に基づく控訴人の主張は採用することができない。

二控訴人の主張2について

監獄内の紀律を維持するためにする未決拘禁者の図書閲読の自由の制限は、当該未決拘禁者の性格、監獄内の一般的状況、看守の人員配置その他諸般の具体的状況のもとにおいて、当該図書の閲読が監獄内の紀律を害する結果となる相当の蓋然性が認められる場合にのみ、必要かつ合理的なものとして許されるものと解するのが相当であり、監獄法第三一条、同法施行規則第八六条、本件取扱規程第三条、本件依命通達第二項も、右のように解釈する限り、憲法第一九条及び第二一条に違反しないものと解すべきである。控訴人は、監獄法第三一条第二項は文書図画閲読の制限についてなんら限定していないにもかかわらず、右のように限定解釈を施さなければならないということは、図書閲読の許可基準を文言上不明確にするから、違憲であると主張する。一般に、法の規定は、その意味内容が文言上明確であることが望ましい。これは、憲法の保障する基本的人権を公共の福祉の立場から制限する法令について特に要請されるところである。しかし、ひるがえつて考えると、法規は、複雑多岐な社会事象を規制する任務を負つているものであり、規制の対象となる社会事象は常に流動変化してやまないのであるから、法規と現実との間には、時の経過とともに、なんらかのそごが生じてくるのは避けがたいところである。従つて、立法当時には疑問の余地のなかつた法規も、時代の進展とともに、その効力、内容について疑問が投ぜられるに至ることもありうるのであり、解釈によつて当該法規の意味内容を確定し、その効力を維持することも認められなければならない。このことは、ある法規が合憲かどうかが問題となる場合も同様であつて、無制限に適用するときは違憲の疑いがある法規であつても、これに一定の解釈上の制限を加えることにより合憲とすることも許されるというべきであり、これを排斥する理由はないものといわなければならない。そして、このことは、憲法第一九条の保障する思想及び良心の自由ならびに憲法第二一条の保障する表現の自由を制限する法規の合憲性を判断する場合でも、例外ではない。なお、本件のように在監者の図書閲読を許可にかからせている場合には、思想、良心の自由あるいは表現の自由を制限し、これに違反する者に刑罰を科する刑罰法令の場合とは異なり、許可基準が文言上明確でないとしても、それが在監者をして図書閲読の許可申請をすることをちゆうちよさせ、ひいては思想、良心の自由及び表現の自由の一態様である図書閲読の自由を実質的に制限する結果となるおそれは少ないと考えられる。以上の次第で、監獄法第三一条第二項を受けた同法施行規則第八六条、本件取扱規程第三条、本件依命通達第二項の許可基準が文言上明確性を欠くとの理由で、右規則等が憲法第一九条及び第二一条に違反するということはできない。

よつて、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であつて本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(枡田文郎 山田忠治 古館清吾)

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